編集者のひとりごと
 このページは、編集者が射撃だけに限らずいろいろな思った事を書いて見たいと始めました。
 勝手気ままに書きますので、意見の違いはあってもご容赦下さい。



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2019.04.30

平成から令和の時代へ

平成の主な出来事・・・
まずは中国の天安門事件、やはり共産主義の国って改めて恐い存在だと世に知らしめたと思います。そして幼女4人を誘拐そして殺害した宮崎勉、いやな事件でしたね・・・子供が事故や病気で亡くなるのも嫌なんですが、まして殺人なんてとんでもない事です。湾岸戦争、長崎雲仙・普賢岳の火砕流により多数の犠牲者、一家4人が惨殺されていまだに犯人逮捕に至らない「世田谷事件」などなど。おめでたい話や嬉しい話では毛利衛さんが日本人として初めてのシャトルの宇宙飛行士になった事、そして5月に皇太子から天皇陛下となられる徳仁殿下と雅子様の御結婚。阪神淡路大震災、オウム事件、ダイアナ妃の疑惑の残る事故、大リーグに挑戦した野茂英雄投手が新人王獲得、和歌山カレー事件、アメリカNYの高層ビルにハイジャック機が自爆目的で突入、核兵器を持っていると言う疑惑からのイラク戦争、JR福知山線の脱線事故、実は無能だったオバマ米大統領、東日本大震災・・辛い事や悲しい出来事などなど書き出したらきりがありません。
昭和で人生の約半分を過ごし、平成で多くの経験をしました。そして明日から新元号の「令和」の時代になり、また新たな時代へと歩んで行く事でしょう。そしてその令和のいつの日か、私も歩むのを止める時が来るのです。さてそれはいつになる事やら・・・

平成最初の写真(グアム国際空港ロビーにて)

 私にとっての平成の幕開けは、昭和天皇がその前年の秋から体調を崩され、万が一の備えて世の中派手な事などを自粛する雰囲気になりつつある時でした。当時日本でも知れ渡っていた大きなイベントの小冊子(あえて名前は伏せます)を発行する事を、ある団体からの依頼により私が引受ける事になりました。方針と協力のみ頂き、あとの企画立案からデザイナーやコピーライターの依頼、カメラマンとの打ち合わせ、協賛会社からの費用調達、そして印刷会社や製版会社との折衝(金額や納期)などなど超忙しく時を過ごす事となりました。
 そして全てがほぼ出来、あとは正式に印刷するばかりとなった頃に突然昭和天皇の容態悪化・・・先に書いた様に世の中自粛ムード一色になりつつあり、そしてとうとう日本有数のイベントは中止となりました。
 晴天の霹靂・・後頭部をいきなり"ガーン"と殴られた様な衝撃・・・全てがパア、しかしイベントは中止になっても、小冊子はほぼ完成のところにあり、もしストップしてもそれまでの費用は全て私の負担・・・とてもじゃないが立直れない衝撃でした。
数日間は夜も眠れなく、少しうつうつとしたら冷や汗をたらし飛び起きた事も何度もあります。しかし人間開き直ってしまえば何て事なくクリアする事が出来るもんですねぇ・・・結末は差し障りがあるので控えさせて頂きますが、とても良い経験となりました。
 
 上の写真は書いている通り、グアム国際空港で帰りに知人撮ってもらったものです。当時の仕事の関係で、ハワイやグアムなど良く連れて行ってもらいましたが、本当はあまり行きたくはなかったと言うのが本音でした。(全ての費用出してもらってバチ当たりですね)
今から思えば、一番堕落した時間を送った時期だったのかも知れません。まあそこそこの収入もあり、ほぼ勝手気侭な時間も取れて言う事なしだったかもね・・・でも世の中そんなに甘くはありません。
その後しばらくしてぬるま湯の様な所から飛び出ると、雪降る冬の露天風呂から裸で出て、とほとぼと夜道を歩いている様な時期を過ごすはめになりました。そう、まるでアリとキリギリスの童話の物語りの様なもんですかな?もう少し私もしっかりとその童話を読んで勉強しとくんだったと反省しております。

 そしてしばらくすると両親の介護が始まり、どうにもこうにもならなくなり、なかなか思う様に行かなくなりました。そして数年後に父が亡くなり、少し時間が出来たので友人の勧めでクレー射撃を始める事になりました。外から見た時は、散弾銃の弾って小さな仁丹の様な粒が200個以上飛び出すので、百発百中だろうと思っていましたが、なんのなんのなかなか当るもんじゃありませんでした。
まあその内順調に当たりだし、コンスタントに国際トラップでも対応出来る様になり出しました。そうなると面白さが倍増、さあこれからこの趣味で人生の最後を楽しいものにしよう!と思った矢先、娘が離婚・・・原因は元夫側にあったのに、裁判で娘を訴えて来ました。
おいおい違うだろ?と言う事で約3年間裁判に時間を取られる事になり、それなりの費用もかかりました・・・
結局、一審でも二審の高等裁判所での判決でも言うならば100:0でこちらの言い分が全て通りました。当然弁護士の先生に依頼はしましたが、裁判所に提出する陳述書の下書きはこちらである程度用意する必要があり、娘に任せておいたら不利になったら困るので全面的に私が書きました。1回の反論書面はA4サイズで約10枚くらい書き、それが裁判終了まで数十回・・・あとで弁護士から返却された資料を受け取ると、なんと段ボール箱にぎっしり入ったのが数個ありました。
趣味の射撃を始めて4〜5年後で、一番充実しだした時の出来事だったので、射撃をしながら裁判の反論書面の事を考えていたので、当然成績は不安定で下降の一途となりました。そんなこんなで13年間楽しんだ最後の趣味である射撃も卒業する事になりました。

 時々書いている様に我が家は保護ネコや保護イヌがいますが、私自身は出来れば飼いたくはなかったのです。嫌いではなかったし、どちらかと言うと好きには違いがないのですが・・亡くなった母が大阪市内に住んでいる時に捨ネコを飼う事になったのが最初ですね、その後大阪の郊外に引越して一段と拍車がかかりだしました。まずは家を建築中に、ウロウロしていた真っ白なその後タローと名付けたわんちゃんからスタート。一番多い時には、外のガレージにやって来る野良猫達に餌をやりだしてその数なんと40匹以上になった様に思います。
その内数が減りだし、母も体調不良になり今度は妻が数匹飼う事になりました。そして小学校に通いだした娘が学校の帰りに拾って帰ったりしだし、あっという間に増えだしました。そして約40年住んだ前の家も老朽化が進み、建て替えやリフォームもネコ達が一時避難する場所が見つからず、最終的に引越す事になりました。そして現在16匹のネコと1頭のイヌ、1羽のインコ・・・今の生活は私達の老後を楽しむと言うより、日々ペット達の世話に明け暮れていると言うところでしょうか。
今思えば、独身の頃は良かったなぁ〜と思いますが、戻れる訳でもないのでこれからをいかに楽しむかを真剣に考えます。
たぶん明日から???

2019.04.13

目が見えなくなってしまった我が家の「コロ君」、でも最近は慣れたのか、散歩もスタスタ歩く様になって来ました。
そう考えると犬って凄いですとねぇ・・・

下の写真は、我が家から10分もかからない所にある桜の公園です。
昨日思い立ってひとりで写真を撮る目的で行って来ました。この辺りは猪や鹿などもよく出て来るそうなので、猪の捕獲用の檻が置いてありました。
昨日現在でのこの辺りの桜はまだまだでしたので、日曜日は雨が少々降っても大丈夫そうです。

来てたのは入る時出て行った1組のカップルと、私が帰る時来たこれまた1組のカップルだけでした。
こっちはひとりだと言うのにね・・まあ若い人の特権ですか・・・

桜 の 苑(茨木市)

2019.04.08

夜中には結構な雨量でしたね、平地あたりでは桜はほぼ満開ですが、ここいら辺りでは随分と遅くに咲く様です。昨日くらいから開花も目立ちはじめ、今朝いつもの様に散歩したら上の写真の様な状態でした。もうすぐ満開となり、2度目の満開を楽しめてちょっとラッキーかな・・・今月末で引越して1年となり、今ではすっかりこの地に馴染んでいる様に思います。ただ・・買い物が不便ですが、こればかりはどうしようもありません。
昨日大阪では選挙があり、既に結果が出ております。大阪市長と府知事を入替えて「都構想」を再度問うとの事で大阪維新の会所属のそれぞれの市長と府知事が辞任しての選挙でした。二重行政で無駄が多いと言われている事に対して、区を統合整理して効率化をはかり大阪府とも水道事業等を統配合するとの事で選挙を数年前に行いましたが、その時は「都構想」は否決されそれが当時の民意でした。そしてまた同じ事を大阪維新の会の大阪府と市のトップが言い出して、解散選挙となりました。結果は大阪維新の会の二人の勝利で終わりましたが、なんだかしっくりと来ないと感じたのは私だけでしょうか・・・

2019.04.01

5月1日からの新元号が万葉集から選んだ言葉で、「令和」と言うのに決まったそうです。昭和に生まれ、じゅうぶん大人になってから平成に替わり、そして今度は「令和」か・・・その内馴染んで来るのでしょうが、今の所しっくりと来ないなぁ。私が生まれる前から昭和でしたので、なんとも感じませんでしたが・・・昭和天皇の容態が急激に悪化した秋、当時日本でも有数の祭りの本を出版するべく走り回っておりました。あるところから話を持ちかけられ、企画から全ての事をプロデュースしました。が・・しかし昭和天皇の容態悪化によりその日本有数の祭りも中止となりました。でも私は既にカメラマンの撮影も終わり、デザイナーに依頼していた本の構成も終わり、印刷も試刷りも終わりいよいよ本番の印刷をまつばかりと所まで進んでいました。もし中止になっても、私が依頼した多くの人々にはそれなりの支払いをする必要があります。ここで印刷を止めても、当初の費用の大半は支払わなければなりませんでした。そこで思いきって印刷してしまえ、後はどうにかなる・・と思いきった決断をしました。でも目論みは外れて中止とあいなり、相当数の出版物のみ大量に残ったのを今でも記憶しています。刻一刻と支払い期日が迫り、夜中に汗びっしょりで飛び起きた事は一度や二度ではありませんでした。最終的には全ての支払いも滞りなく済ませましたが、別に借金した訳でもなく印刷した印刷物をいろんなスポンサーの所に持ち込み、スポンサー料と言う名で買い取ってもらいました。そしてその印刷物は公共機関の窓口横で、昭和最後の幻の祭りと銘打ち無料配付しました。それでなんとか窮地を脱したと言う訳で、いわゆる下請けと言う方達には多少の御協力をお願いし、快く承諾してもらう事となり一見落着となりました。それが昭和から平成に替わる時に体験した一代騒動でした。もう30年以上も前の事になるんですねぇ・・・平成から令和になる時は、こんなあたふたとした騒動にならない様にしたいものです。

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