私の写真館 5 憧れのモータースポーツ

 お金がなかった青春時代、ほんの一瞬だけモータースポーツに憧れ、そのまねごとの様な事を少しした時の記録です。残存していると言うか、手元に残っている写真と唯一友人が撮影してくれた練習風景の8ミリビデオ(映像のみで音声無し)があり、今回編集しました。ビデオに関しては効果音は後から編集時に加えましたが、当時は写真や動画なんて残そうとはまるで思ってみなかったのが、今になると残念でなりません。
 昭和45年から始めましたが、その2年後にはオイルショックが当時の我々若者達のモータースポーツへのいろんな憧れや、夢をあっと言う間に断ち切ってしまいました。

 私が初めて鈴鹿サーキットに観戦に行ったのは、確か高校3年の時でもちろん免許証は持っていませんでした。同じ高校に通う同級生の友人が、5月生まれと言う事があって、早々と免許を取得しその車で乗せてもらって行きました。そして彼の愛車は紺色の「ベレット1600GT」でした。GTと言う名がついた最初の頃だったんじゃないでしょうか、もちろんそんな車に乗っている友人は神戸のお金持ちの次男で、恵まれた境遇であった事は疑う余地もありません。

 そうそうその時観戦したレースは、当時有名な「生沢徹」と言う天才的なドライバーが出場しているクラス混合のGTカーレースで、彼の乗っている車は「ホンダS600」だったと思うのですが、これがとんでもなく早かったんです。同クラスには2000ccのGTカーやもっと大きな車も走っていた様なおぼろげな記憶がありますが・・・2〜4周走ったら既にブッチギリのトップを走行していました。「わぁ〜凄いな・・」と心底感じ、あんな車に乗ってみたいなと思ったのが、モータースポーツに興味を持った最初でした。


 下の写真は、昭和44年の琵琶湖にあった日本一のジムカーナー専用サーキット「ビワコスピードランド」で開催されていたジムカーナーの大会です。この時はまだ出場していませんが、この翌年から参加するようになりました。
成績は・・たった一度だけ優勝しましたが、あとはたいした成績は残せませんでした。
 下の写真に写っている改造した車名わかります?中には、後に私が乗る事になる車が偶然写っています。何かの縁でしょうか・・・

 昭和45年(1970年)11月1日、この日がジムカーナー初出場でした。MRクラス出走45台(?)位で成績は初出場にしては上々だったと言う記憶が残っていますが定かではありません。MRクラスと言うのは、軽自動車のエンジンカテゴリーでレーシング改造OKと言うクラスです。上位15位くらいまでは、完全フルチューン車で次に来るのは足廻りとエンジンを少しいじった車しでした。我が輩の車と言えばまだエンジン迄間に合わず、足回りだけ改造した中途半端な状態でしたが、しかしフルチューンした車の後に初出場の私が入った事は上出来だったと思います。
 下の写真はジムカーナーやラリーに出場した時のものや、パドックの駐車場でセッティングしている時のワンショットです。他には私が過去に乗っていた車等です。そして当時所属していたクラブは「TST」でした。クラブ主催のラリーや旅行・年末のパーティーなど楽しい時を過ごす事が出来ました。


 上の5台の車は、2012年6月から3年6か月の間に購入したホンダ車です。短期間に5台も新車を買うって正気の沙汰ではありませんが、まあそれなりの事情があるにはあったのですが・・・それにしてもムダの一言に尽きる買い物です。下の2台は既に売却し、上3台は現在所有している車です。
本当はセダンタイプの乗用車が欲しかったんですが、特に欲しいセダンが見つからないと言うか欲しい車はとんでもなく高いので手も足も出ませんので、現在の車に落ち着きました。
※ 事故による走行不能での売却等ではありません。無事故のままストリームは25000km、フリードに至っては5000km程度の走行距離でした。

 下のビデオはオイルショックが始まるほんの少し前に乗った「エバ2AS」と言う名のレーシングカーです。ジムカーナーとほんの少しレースに出ただけで、もろくもオイルショックに吹き飛ばされてしまい、今でも本当に中途半端なままでピリオドを打たなければならなかった当時が残念でなりません。練習風景のほんの一部だけでもこうして映像として残っていると、やっぱりどんな事があっても写真やビデオは残しておくべきだと痛感いたしました。
 射撃でもこの4年間ほど沢山のビデオ撮影をし、とてもいい思い出として残す事が出来たと思っています。

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